赤毛のアンの部屋
この部屋にとまれるのはきょうだけ。
アンは絶望の底にいました。
大好きな赤毛のアンの部屋を絵にしたい。
作者は中学2年生の女の子。油絵。

舞台はカナダのプリンス・エドワード島。
孤児院でそだったアンは
養子になるためにやってきたのですが、
農家のシュウとマリラの希望は男の子でした。
今晩だけはその少年のために用意された部屋に
とめてもらえる。
でも、あしたは・・。

壁にかかったワンピース。
身のまわりのものをつめこんだだけのバッグ。
それがアンの全財産です。

いったいだれが、どうまちがえたのでしょう。
よろこびがとつぜん、絶望にかわる。
運命の歯車が
カタンとまわった一瞬でした。
ゆめにしかでてこないような美しいベッドにも、
心はおどりませんでした。

L.M.モンゴメリーが書いた「赤毛のアン」は
少女たちにあっとうてきに支持され、
世界的なベスト・セラーとなりました。
いまでは記念館に物語のこの部屋ができていて、
世界中からファンをあつめているそうです。
この絵の作者も
そんな体験をしてきたひとりです。

かべにかかっている洋服、
ふるぼけたバッグ、
あかるいひざしのさしこむ窓、
清潔なベッド。
それだけで物語の細部までが
ありありと思いうかんでくる。
いつかプリンス・エドワード島にいって
アンと同じ空気をすい、その景色を見てみたい。
そんな思いがつうじました。
読書がもたらしてくれたすばらしい体験です。

司馬遼太郎さんは
『少年少女世界の美術館』のなかで
子どもたちのためにこんな文章を寄せています。
少年や少女たちが、
その年齢のときから美しいものにあこがれ、
何が美しく、何が嫌悪すべきものであるかを身につけなければ、
きっと醜悪なものの中で
平然としている人生を送るにちがいない。
美の訓練は、
智恵のできた大人になってからでは遅いらしい。

子どものころの小さな感動は、
心のなかにタネをまくようなものです。
それを自分のなかでしっかりとそだててきた。
そんなことが絵からもつたわってきます。
読書のよろこびと文学的感性にあふれた
とてもいい作品になりました。

アンは絶望の底にいました。
大好きな赤毛のアンの部屋を絵にしたい。
作者は中学2年生の女の子。油絵。

舞台はカナダのプリンス・エドワード島。
孤児院でそだったアンは
養子になるためにやってきたのですが、
農家のシュウとマリラの希望は男の子でした。
今晩だけはその少年のために用意された部屋に
とめてもらえる。
でも、あしたは・・。

壁にかかったワンピース。
身のまわりのものをつめこんだだけのバッグ。
それがアンの全財産です。

いったいだれが、どうまちがえたのでしょう。
よろこびがとつぜん、絶望にかわる。
運命の歯車が
カタンとまわった一瞬でした。
ゆめにしかでてこないような美しいベッドにも、
心はおどりませんでした。

L.M.モンゴメリーが書いた「赤毛のアン」は
少女たちにあっとうてきに支持され、
世界的なベスト・セラーとなりました。
いまでは記念館に物語のこの部屋ができていて、
世界中からファンをあつめているそうです。
この絵の作者も
そんな体験をしてきたひとりです。

かべにかかっている洋服、
ふるぼけたバッグ、
あかるいひざしのさしこむ窓、
清潔なベッド。
それだけで物語の細部までが
ありありと思いうかんでくる。
いつかプリンス・エドワード島にいって
アンと同じ空気をすい、その景色を見てみたい。
そんな思いがつうじました。
読書がもたらしてくれたすばらしい体験です。

司馬遼太郎さんは
『少年少女世界の美術館』のなかで
子どもたちのためにこんな文章を寄せています。
少年や少女たちが、
その年齢のときから美しいものにあこがれ、
何が美しく、何が嫌悪すべきものであるかを身につけなければ、
きっと醜悪なものの中で
平然としている人生を送るにちがいない。
美の訓練は、
智恵のできた大人になってからでは遅いらしい。

子どものころの小さな感動は、
心のなかにタネをまくようなものです。
それを自分のなかでしっかりとそだててきた。
そんなことが絵からもつたわってきます。
読書のよろこびと文学的感性にあふれた
とてもいい作品になりました。

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